はじめに

◆1号:かほ

○2002年7月
 埼玉県川越にて出生。
 陣痛時、女房が苦しそうにしているのに腹の中で寝ていたという、このやる気のなさ度の高さは
天性のものなのであろうか。
また、なぜか新生児とは思えないぐらいぐらいの髪の毛の量だった。


○2004年(2歳)  
 
 1歳過ぎで既に話し始め、これぐらいになるとうるさい位に色んなことをしゃべり、
いっちょ前にツインリンクもてぎにある電動スクーター「ピンキーバイク」に対し「乗る!乗る!」と騒ぐも
『3歳以上のおともだちから』という規定の壁に阻まれる。
 しかしながら3歳になる数ヶ月前からは、元々年齢にしては身体が大きいこと、
そしてその口うるささから3歳以上と誤魔化してピンキーバイクに乗る始めることには成功したが、
やはり口だけの女で動かし方などをしっかり理解していなかったため手元のアクセルを全開に出来ず
ノロノロとした走りで回りの子達からは周回遅れにされる始末であった。


○2005年(3歳)

 乗り物によっては年齢制限を越えるものも出てきて、ピンキーバイクなどは誇らしげに
何回も何回も乗るようになるが、基本的な性格はかなりチキンなため、
はじめて見たちょっとでも怖そうな乗り物には絶対に拒否反応を示していた。
「いいよ〜」「いいよ〜」が口癖だ。
 その他にもF-3に乗せていただくなど貴重な経験をしたにもかかわらず感動もなにもなく、
またそのような育て方は全くしていないにも関わらず「ヒラヒラのスカートじゃないと履かない!」
などと私が一番嫌う『女の子女の子』な感じへと育っていくようになる。


○2006年(4歳)

 キッズ向けのカートスクールやレンタルカートは身長の目安が100cm以上というところが多いが、
そのギリギリのラインを彷徨っていたのがこの時期。
4歳になった頃には既に純粋な身長は100cmを超えていたのだが、とあるカート場で
試しに乗せてみたところ足がペダルの奥までちゃんと踏めていなかったので走行を許可されずという
苦い経験があったため、秋ごろまでは我慢が続いた(←あくまで我慢していたのは私だけであるが)
 そして9月30日『F-1カート宮沢湖』にて初めてとなるエンジンカートの走行となる。
この時背中に入れたパットは5枚以上。記録したタイムは2分をゆうに超えていた(速い子供だと26秒ぐらい)
 その後も何回か同サーキットにて走行をおこなうが、あるとき何を血迷ったか
最終コーナーで外側のクラッシュパッドに全開で突っ込み、怪我やマシンのダメージ等はなかったが、
その事実がトラウマ化し、ただでさえチキンな性格に更に磨きがかかる。
この記録を書いている時点での『F-1カート宮沢湖』ベストラップは43秒8。
他のコースはまだ未経験である。



◆2号(ゆい)

○2004年10月
 埼玉県川越にて出生。生まれた直後に大量のうんちをしなければ4s越えを成しえていた
であろうという3930gでの誕生であった。


○2006年(2歳)

 1歳を過ぎて早々に喋った言葉が飯を要求する時の「まんま」のみで
それ以外はまともに喋ろうとせず、その状態は未だ変わらず。
2007年2月現在でもそのボキャブラリーは極めて少ない。
 しかし何よりも1号と違うのはメシへの要求度の高さ。「おまえあほか」という勢いで食べまくる姿は、
はからずも、かつて比較的小食だった私と私の妹に「もう食べなくてもいいから」と
一度は言ってみたかったという祖母の期待に見事応えた形となる。
 また、チキンな姉に対してあまりにも無鉄砲な2号。何回も「止めなさい!」と怒られていた
にも関わらず1m以上ある箪笥から布団にダイブをしていたのだが、
ある日固いところに落ちたらしく足を骨折。
しかしギブスで固定され足が痛くなくなった途端に家の中のジャングルジムによじ登り
一番上で吠えているなど、まだ人間に成りきれていない状態が続く。
 当然まだ一人で乗りもの系には乗っていない(というか恐くて乗せられない気もする)
外を歩いていると圧倒的に男の子に間違われ、性格もその無鉄砲さや姉を泣かすなど
男寄りの傾向がある2号。
 そして自分的には2号がカートを本格的にやらせる本命ではないかと勝手に思い込んでいる。



◆3号(りさ)

○2006年10月
 
東京都青梅市にて出生。今現在での兆候はとにかくうるさい娘になりそうということ。
あのうるさかった1号も早い段階から色々声を出していたがそれを上回る時期の早さとその多さ。
「1号よりもうるさくなったら・・・」と両親は早くも戦々恐々としている。



(以下は日記で)

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